About
Yamashirokan
福寿園山城館について
聖地・山城から始まる
福寿園宇治茶街道を行く
福寿園創業の地京都、山城。
聖地とも呼ばれるこの地は、
自然の美しさと厳しさを併せ持ち
平安京や平城京より古きの高麗寺跡や
由緒正しい寺院がいくつも佇む静謐な場所。
また、山間の寒暖差や水捌け、木津川の川霧が、
優しい茶の風味を生み出し、
その味わいは風雅な都人に賞賛され、
宇治茶が天下一の茶と称されるまでになりました。
時代が下り、幕末の神戸港開港の頃には、
宇治茶が重要な輸出産品となり、
日本の近代化を支える一助となりました。
弊社ではこの地の茶の歴史を伝える施設として、
南側に「茶問屋ストリート」
北側に「伊右衛門ティーガーデン」を整備し、
「福寿園 山城館」として竣工いたしました。
生命力溢れた緑豊かなお茶と共に、
山城地域の歴史文化に浸るひと時を
お届けできればと願っております。
- 山城館のテーマ -
THEMES
聖地・山城の中心地
山城の地が開けたのは京都の平安京より200年古く、奈良の平城京より100年前の飛鳥時代の法隆寺と同時代に創建された高麗寺跡が福寿園本社から東へ900mの所にあります。
法隆寺は海から大和川を、高麗寺は木津川を上り建てられ、同時代の仏教文化の中心でした。由緒正しい寺院が点在する山城の地は、山岳修験の拠点として、自然の美しさと厳しさを併せ持つ静謐な場でもあります。
また、山間の気質である寒暖差や水捌け、そして木津川の川霧、これらが宇治茶の生育に寄与し、その結晶として優雅な風味が生まれたのです。
風雅な都人たちは、類稀なる香りに酔いしれ、宇治茶が天下一の茶であると讃えました。
山城の茶問屋文化
中国から伝来した茶は室町時代には山城各地で栽培され、やがて近江・大和・伊賀・伊勢へと伝播しました。
江戸時代末の神戸港開港によって山城宇治茶の輸出は急激に増加し、山城と近隣諸国の生産は飛躍的に増大しました。
古来から木津川は人と物資の交流によって海外と我が国を結ぶ大動脈であり、茶の道もまた木津川を措いて語ることはできません。
各地で摘まれた茶は川と街道によって山城の地に運ばれ、加工精製されて、そこから木津川と淀川を経て神戸に至ったのです。
茶の集散地としてこの地は、東神戸、今神戸とも呼ばれた明治の輸出茶の時代から大正・昭和の国内需要の時代に至る永い歴史の時間を発展し、繁栄してきました。
福寿園誕生の地、山城
「お茶と向き合う静かな時間が人生を潤してくれる - そんな日本が育んだ文化を広くお伝えしたい。」
福寿園は、寛政二年 (1790年)に福井伊右衛門によって創業。この京都山城の地で、茶一筋に築き上げてきた技術を礎に、世界で通用するお茶を探求し続けております。
『無声呼人』(むせいこじん)とは、徳のある人のところには呼ばれなくても人が集まる、福寿園に代々伝わる家訓です。
時代がどんなに変わっても、その想いを忘れずに、真面目に、丁寧に、お茶の品質を磨いて参ります。
福寿園について
FUKUJUEN
福寿園は寛政二年 (1790年)、大阪・神戸に通じる木津川の船着場として、また大和・伊賀街道の交叉地として諸物の集散地であった山城国上狛 (現京都府木津川市山城町) に、福井伊右衛門により茶商として始まりました。
創業以来230余年、伝統の心の上に常に革新を加え、日本の心を支える茶づくりに専念してまいりました。
時代を超え、国境を越えて、茶で人と暮らしを豊かにしたい。変わらぬ想いで技と味わいに磨きをかけてまいります。
- 商号
- 株式会社福寿園
- 代表者
- 福井 正興
- 本社所在地
- 京都府木津川市山城町上狛東作り道11
- 事業内容
- 日本茶の製造販売
- 創業
- 寛政2年(1790年)
- 設立
- 昭和24年(1949年)